すごい放置で…

さる8月11(月)に露口啓二写真展のオープニングイベントとして
アート写真の世界でその名を知らぬ人は居ないであろう
写真評論家・倉石信乃氏をゲストに迎えてのトークイベントがありました。(向かって右)
    
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なんと言いますか…個人的な感想としてですが
写真という手段を使って創作活動をするものにとって倉石さんの言葉を
直に聞けるという事自体が貴重で素晴らしい機会でした。
イベント後にもっとゆっくりお話を聞きたかったのですが
当日の我々はホスト役で、沢山のお客様への対応にアタフタ動き回っていたので
慌ただしく時間が過ぎてしまいちょっと残念でした。

幸いにも私の作品を郵送して見ていただくという、なんとも有り難い約束をしてもらえたので
急ぎプリントの焼き直しに入らなければ…
      
札幌でもこういうチャンスがもっと増えると良いのですが。
   

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会場には我々の予想を超える人数のお客様に来て頂いて
途中でイスが足りなくなり、焦って補充したりとバタつきました。
イベント終了後には1Fスタジオにて、集まった皆さんと絶品オードブルを食べながら
楽しい歓談の時間となりましたが、これまたスタジオ内も超満員御礼になり
立食は当然の事ながら、行き交うのも一苦労という混雑状態に。
いやはや嬉しい予想外でしたが、忙しい中来て頂いたのにスシ詰めになってしまった
皆さんには本当に申し訳なく思っております。。。
                                                                                                                                                                                          
                                                                                                                                                                                                                   

久々のスタジオ大宴会(?)でとても楽しく過ごせました。
やはり『たまに』だから良いんでしょうね宴会は。
7〜8年前のフレメンは連日連夜スタジオで大宴会が繰り広げられ(マジですよ)
撮影している横でどんちゃん騒ぎという日も多々ありました…。(実話ですよ)
そのうち、知らない人がスタジオで飲んでいようが何をしようがどうでも良くなってしまいました。

翌朝は前夜のビール缶やらワイン瓶やらグラスやら皿やら吸い殻やらゴミやらの
大片付けから一日の業務がスタートするという定番コース。(ノンフィクションですよ)
仕事の後、酒だのタバコだのしょっちゅう買いに行かされたものです。。。

おっと、、、うっかりアシスタントという名の奴隷時代の思い出に浸ってしまいましたね。

しかし、当時のアート関係者やクリエーター達が集うサロンの役割も果たしていたので
かなり面白い交流もあり、あれはあれで色々と勉強になって楽しい時代でした。

ちなみに今のフレメンは実に健全ですよ!スタジオ内禁煙ですし。お酒でませんし。
上の話を現アシにしても『今のフレメンからは想像つかない』らしいです。
面白味には欠けますが…めでたしめでたし、なんでしょうかねぇ。


光陰矢の如し

思い起こせば10年前の5月某日

一冊のタウンページを頼りにあちこちに電話をかけまくり
雇ってくれる広告写真スタジオを探していた。

「商業写真」というページに載っている番号に
手当たり次第に電話をかけ、片っ端から断られる事…数十件。

その名前のアヤシさ故、なんとなく最後の方に残しておいたのが
今のスタジオだ。

当時札幌ではまだコマーシャルの女性カメラマンが珍しい時代だったせいか
求人情報を探し履歴書を送るも、面接までこぎつけるのもやっとで
たいていの場合無言で履歴書が送り返されてくるのがオチだった。

職業上もともと少ない求人を待っていても時間の無駄だと気づき
ならば、手っ取り早くこちらから押し掛けようじゃないか。という作戦に出た。
履歴書を送って、返事が来るまで数日(しかも不採用)というロスタイムが無いので
電話売り込みは相手の反応がダイレクトなので話が早く、
良くも悪くも結果がすぐ分かって効率が良かった。

念願かなってスタジオ入りしたものの
撮影現場において、カメアシは一番下っ端の下僕状態だったので
最初の頃は名前で呼んでもらえる事もなく、せいぜい「オネエちゃん」。
目の前で元気よく挨拶してもシカトされるのが日常だった。
今でも映画などの厳しい世界では変わらないのかもしれないが。

月日が流れてカメラマンとして現場に立つようになり、
当時シカトし続けてくれたオジさまの方から笑顔で
「お疲れさまでしたー。」と挨拶をしに来てくれた時にやっと、
『あー、カメラマンになったんだな〜。』などと実感したものだ。

そんなこんなで、6月1日でフレメン入社まる10年なのだ。
写真を職業にしてからは…おぉっ、15年だ。 

トシを取るにつれ、1年、1月、1日が早い早い。やだなー。
昨日の出来事より昔の記憶のほうが鮮明なのは何故だろう。。。やだなー。
本棚から人間失格が2冊も出て来たのはなんでだ…2回も買ってたのか。。。やだなー。
しまいにゃあ持ってるCDをTUTAYAでレンタルして来るし。。。やだなー。
ほんとにダメ人間じゃないか。
そのうちなにもかも忘却の彼方に…生まれてきてすいません。

なにはともあれ
今ではコマーシャル及び、それ以外の分野の雑誌、報道、スポーツ、学校写真…etc.
沢山の女性カメラマンが活躍していて喜ばしい限りです。

追記:そういえば「光陰矢の如し」も抹殺した前のブログで使ったような気が…やだなー。


あがたさん

去る4月4(金)
我々が日頃たむろしている某カフェにて
あがた森魚さんのライブがありました。

フレメン周辺とあがたさんとは、なぜだか昔から親交があり
例によって私は撮影にかり出されたわけです。

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*諸事情により顔の見えないカットでご勘弁を。。。

久々に聴くあがたさんのナマ歌はやっぱり染みるな〜。
途中、ギターの弦が切れるというハプニングもありましたが
イトウの心の名曲『春の嵐の夜の手品師』や
生『赤色エレジー』も聴けたし満足満足。

撮影してなければもっとじっくり聴く方に集中できたな…。
カメラを持つとつい、撮る方に神経が行ってしまうという
悲しい職業病なのです。


新装開店

お待たせしました。
リニューアルしてみました。

今までごちゃ混ぜになっていた
作品ブログと雑記ブログを分離したので
今後は見易くなるハズです。

こちらの『note』の方には作品写真以外の
あれやこれやを
(うちの鳥とか、日々の徒然とか、仕事の事とか、うちの鳥とか…)
書いて行きたいと思います。


根室で釣り

先週、某大企業さまのロケで根室にこもっていました。 私以外の制作スタッフは皆東京から上陸、という ややキンチョーしつつの初顔合わせでしたが 皆さんとても気さくに接してくれたので 夜の宴会含め、楽しいロケになりました。 現地でガイド役をしてくれた方がまた! とてもイイ方で、仕事以外の部分でも 随分と我々を楽しませてくれました。 環境関係の撮影だった為 みんなで林の中を歩き回ったり 釣り船に乗って風蓮湖側からの景色を 撮影したりというもので ほぼ1日中外にいるので寒い寒い。。。 道産子とはいえ、made in Sapporoの私でさえ チョ〜寒い今時期のオホーツク。 軽装な東京スタッフには気の毒な厳しさでした。 そんな中、風蓮湖でちょっとした釣りを体験。 伊藤の釣果。カレイ3枚、変なの2匹。 同行のライターさんが撮ってくれました。 コドモの時以来の釣りでしたが なかなか良い成績でした。 クロガシラという高級カレイも釣ったみたいです。 夜の晩餐に食べられるかと期待したのですが 「板前さんが帰った」とかで調理してもらえず 残念ながら味見ならず。 しかし、ド素人でも釣れるとけっこう楽しいもので 世の釣り人たちの気持ちが少しわかった気が。 そして、納沙布岬にて 初めて北方領土を肉眼で見る事が出来た。 (今まで2度行っていますが霧でダメだったので。) もう、すぐソコにロシアのものになっている島が見えて 故に、200海里もすぐソコなわけであり その想像以上のご近所具合に、かなり驚いた。 道産子とはいえ、札幌⇔根室は車で9時間。 一般人が北方領土問題をリアルに感じるには あまりに遠い距離なのだ。 今さらだが、北海道の事も良く解っていない自分に ちょっと飽きれる。 第一次産業について、もっと勉強した方がいいな。。。 本業の仕事の成果としては 貴重なオジロワシのヒナの写真を激写出来、 丹頂鶴のつがいとオジロワシを1カットにおさめる事が出来 こちらもなかなかの収穫でした。 *その写真は都合上、まだアップする事は出来ませんが 丹頂夫婦の2ショットを。

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自然環境の保全。 世界的な問題ではあるけれど、 まだまだ原生林が多く残っている土地として、 貴重な動植物の生息地の保護っていうのは 今の北海道に課せられた重大な任務でもあるのだなと しみじみと感じた取材でした。