マイケル・ケンナ写真展

札幌宮の森美術館にて開催されている

『マイケル・ケンナ写真展 風景に刻まれた記憶』を観て来ました。
 
ピクチャ 1.png 
 
http://www.miyanomori-art.jp/ ←札幌宮の森美術館HP
 
http://www.michaelkenna.net/  ←マイケル・ケンナ公式HP
 
 
写真家としては、もう、いわずもがな…の世界的巨匠なので
そこらへんは、くどくど書きません。
上のHPをご参照くだされ。
 
写真集もたくさん出版されてますので、彼の写真を目にした方も多いのでは。
 

美しいモノクロ・風景写真で有名なマイケル・ケンナ氏が
2002年から定期的に北海道を訪れ、撮影した作品をメインに
その他、世界各地の風景写真等も少し展示。
 
雪の北海道の景色、と言っても
いわゆる観光写真のとは別ものです。
 

私個人の感じるところではありますが、今回の作品に限らず
「ランドスケープ」の形をとってはいるものの、実はもっとグッと的を絞った写真に感じます。
なんといいますか…
その風景の中に写し込まれた樹木だったり、水だったり、暴風壁だったり、建造物だったりを
被写体とした『ポートレート』のようだなぁ、と。
 
一見、「なぜコレを?」いうモノに愛情を注いで撮っているのが伝わって来ます。
とても丁寧に、慎重に接してるのではないでしょうか。
 

都市論をテーマに土地の風景を撮るタイプの作家ではないのでしょう。
火力発電所なんかも撮ってはいますが、政治的な意味合いではなく
ひたすら愛情がにじんでいるような…内向的というかなんというか。
(すごい個人的な感想ですからね)
 

あるテーマを掲げ、それに必要な写真を撮るのではなく
シンプルに「自分の好きなもの、惹かれるもの」を被写体にしている、といえば良いか。
 
 
モノクロプリントを極めた(又は、自負のある)世の写真家達が
今回のケンナの生プリントの仕上がりについてどう感想を抱くのか?は、お任せするとして。。。
 
  
ケンナの写真は孤独と静寂に包まれているなぁ。

いつも通り美しい写真だな、と。
写真というより、水墨画を見ているような静かさがあります。
 
世に蔓延している勢いや雰囲気だけのスナップ写真とは
全く対極にある緻密で時間をかけた丁寧な仕事です。
 
  
この手の、突っ込みどころの無い完璧で美しい風景写真は
好き、嫌いも大きく分かれるところでしょう。

子供からお年寄りまで幅広い世代が見ても
「あぁ、きれいだねぇ。」と言って貰える優等生なニオイは…します。
親に紹介しても大丈夫、な、正しいあの感じ。 

職人気質な作風にモノ足りなさを感じる前衛派も居るでしょう。
 
 

端くれながら写真創作をしている身としては、
その長年変わらぬスタンスと労力を維持し続けている事に感心させられます。
瞬発力でテンションを上げるよりも、モチベーションを保ち続ける方がエネルギーが要りそう。

人間は飽きてしまう生き物ですから。
  

インタビューの中でケンナ自身が語っています
「老犬だから、やり方を変えたく無いんだ。」と。

 

アーティストとして創作活動を続けて行く事においては二通りあるようです。
(写真はアートとは別にあるべきだ!的な意見は…まず置いといて)
 
 
時代や世の中の流れと共に方向性も柔軟に変え「進化」し続けるのが良いのか
己の確立したスタイルや手法を揺らぐ事無く「熟成」させるのが良いのか。
 
 
個人的には、どっちでもいいんじゃないの? と思ってます。

変わろうが変わるまいが
周囲のガヤガヤをまるっとスルーして全力で我が道を開拓するのが創作者。
 
やりたい事があるというのは幸せです。
 
 
ちなみに
ケンナが惚れ込み、何度も通い撮影しつづけ作品としても登場する
屈斜路湖、湖畔にあった通称「ケンナの木」と呼ばれたミズナラ(らしき)大木が
昨年、倒木の恐れ有り、として伐採されるというエピソードが。
 

湖畔キャンプ場を管理する業者は
そんな有名なシンボルツリーだとは知らなかったのでしょう。
 
大きく歪み、折れ曲がってそびえ立つ大木が倒れ観光客に何かあったら大変。
彼らは自分の仕事をしたまでです。

写真でもやってない限り、たいていの人は知らないことですから。
 
 
この木が伐採されたことを知った時、
ケンナは自身のHPに『彼女』の写真をupしたそう。
 
メッセージは無かったようですが
とりわけ愛情を注いだこの被写体の消失に、何を思っていたのでしょうか。


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