『愛の小さな徴(しるし)』

*翌日加筆しました。

 

観て来ました
JR札幌駅そばで開催されているアートプロジェクト。

signes

『愛の小さな徴(しるし)』HP

写真家・写真評論家の港千尋さんの手による企画展です。

 

テーマとか詳細は上の公式HPを見て頂くとして(って、いつもこの手だなオイ)
結論から言うと、私としては楽しめたアート展でした。

写真、映像、フロッタージュ…それぞれの作品が 広い空間に、
多すぎず少なすぎず美しく展示されている感じも 観ていて心地よかったです。

「アート展」というと、たまに作品から溢れ出る強いエネルギー(?)に押され
観終わったらぐったり疲労して会場をあとにする、ってこともありますが
今回はなんといいますか…静謐っていうんですかねあの落ち着きは。

 

作品個々の感想は省きますが(←でた)

ユジェン・バフチャルさんという全盲の写真家の作品にはやられました。

撮影者本人は見られないわけですよ、自分の撮ったものを。

事故により10歳で片目を失明、数年後また事故でもう片方の目も…。

 

アシスタントや被写体に光や構図の意図を伝え、今どんな状況なのかを訊きながら
まだ目が見えていた時の記憶を頼りに指示を出し撮影をするという…

しかもその写真達が、とても「視えてない」とは思えない。

*この写真のクォリティを見る限り、ここでいう「アシスタント」とは
おそらく我らでいうところの「経験の浅い後輩」カメアシとは全然別モノの
作家の意図を良く理解し、具現化できる高い技術と感性を持った
スタジオマンのような…いわば「サポートのプロ」のことだと思われますが…。

 

本人のHP作品をみると、しっかりライティングして裸体のモデルを撮ってたりと
スタジオワークでかなり創り込んだ写真も撮っておられる。

けっして「ノーファインダーの偶然」を狙った作風ではないのですから。

アシスタントという他者の目や技術を借りての撮影ではあっても
やはりユジェン・バフチャル氏の写真に他ありません。

が、
我らが目にしている写真がユジェン氏の「想像」と一致しているかはナゾです。

本当の完成作品は彼の頭の中にしか存在し得ないわけですし…
それを確認するすべはどこにもありませんからね。

もっともそんな答え合わせなんぞ、何の意味も成さないのでしょう。

 

デジカメの液晶やモニターで画像を確認しながら撮影するのが
生業となっている私には想像を絶する制作状況です。
個人作品はまだネガで撮ってはいるものの、「見えて」はいますからね論外です。

 

かのベートーベンは音楽家の命とも言える聴力を失いながらも
頭の中の音の記憶を頼りに作曲を続けたといいますが…

仕上がった作品を自分で確認できない世界で尚、創作し続ける行為が
もう、もう、、、何と言ったらよいか・・・誰か代わってください。

 

アート作品への感じ方というのは見る人それぞれだと思っているので
ついつい体験談になってしまいますが

写真をやっている身として

見て・撮る(王道でさぁね)
見ないで・撮る(サプライズ有りのノーファインダーとかね)
見えないけど・撮る(暗所とかね、上がりが楽しみなのよ)

は、どれも経験してるしそれなりに理解もしてるつもりです。
しかしどれも最終的に上がりを見ることを少なからず楽しみに撮るわけです。

この部分が失われている状況での撮影行為というのが
ほんとうに未知すぎて衝撃でしたね…。

 

久しぶりに
写真って、撮るってなんなのよ〜!ってな無限ループに入りましたわ。。。

 

・・・って、 港千尋さんについてまったく触れてなかったよ。

すんません、今日は燃え尽きました…