7月7(土)に開催されました
『トヨダ ヒトシ 映像日記・スライドショー』が無事終了し
当初の想定をぐんと上回る、大きなアートプロジェクトとなりました。
弊社が入居している 岩佐ビルの屋上です。
ご来場いただきました、たくさんのお客様、ご協力くださった企業様、
関係各位のみなさま、現場でともに駆け抜けた大所帯のスタッフのみなさま
ありがとうございました!
そして、トヨダ ヒトシさま
すばらしい七夕の夜を、ありがとうございました。
今後、七夕が来るたびに毎年このプロジェクトを思い出すでしょう。
天候にも恵まれ、スタッフ含め180人ほどの観衆
場内はシーンと静まり返り、ただじっと目前の巨大スクリーンを見つめる。
聞こえるのは、下界を走る車と、時折響くJRの音だけ。
上映会場周辺の環境音も、このスライドショーの一部。
トヨダ作品は「どのような場所で上映するのか」というのも重要なファクターなのだ。
個人的には、写真内容よりも、その発表の方法にアンテナが傾いた。
前日、市立大学で行われた上映後の車中で、横浜美術館学芸員の天野氏がおっしゃったことと
自分が衝撃を受けつつも、モヤモヤして上手く表現出来なかった 部分が
重なっていて、ちょっとすっきりした。
通常、写真作品を観賞する方法としては、写真展で展示してあるものを見て回る、
写真集 などをパラパラめくる、もしくはプリントを直接手に取る、という状況だろう。
それらを編集したDVDという形もある。
上記はいずれも、気になったものは自分の意志でじっくり何度も見返せるし
流したいものはささっと飛ばすこともできる。
要は、自分の好きなタイミングで写真を観られる環境なわけで。
ここからは七夕の上映を見ながら自分で感じた前日のモヤモヤの続き。
作家自らの手で次々と展開していく「スライドショー」形式、ということは
自分のタイミングで見られないという点から、「見せられる」ことでもあり…
かといって、受動的にひたすら見せられっぱなしというのとは違う。
数秒置きに勝手に切り替わっていく一枚一枚の写真達の残像を
観客自らが追い・捕らえ・紡いでいくような、能動的な作業にすり替わっている。
自分はいったい何を見せられているのか ?を捉える作業に没頭するから
あれだけの人数がいながら会場がしーんと静まり返っていられるのか。
ただ漠然とスクリーンを眺めているのとはちょっと違う不思議な緊張感があった。
スクリーンに映し出される写真だけが作品、という質のものではない。
必ず作家が自らがプロジェクターを操作し、タイミングを計って次々投影していく。
それらが上映される場所の空気や環境音、作家自身さえ、全体がひとつのトヨダ作品なのだ。
*受け売り情報によると、
師でもあるナン・ゴールディンのスライド上映の場合は、本人の手操作ではなく、
オートマチックに写真がループされ、音楽も入るのだとか。
筆力が無くうまいこと表現出来ませんが…
すごい。こんな写真表現があったとは。
当初は屋内での上映も予定にあったのだけれど、ビル屋上での野外上映は正解 でした。
作品の持つ静謐さと、古いビルの屋上とのコラボは
サイコーの相乗効果でとても心地よい空間になりました。
みんなでヒーヒー言いながら、エレベーターのないこの歴史的ビルの
3階屋上まで机やイスやその他諸々を、上げ下げした甲斐があった!
我々スタッフ側の、右往左往ドタバタ劇は多々ありましたが(笑)
それらのしょっぱい記憶も、反省点も抱えつつ!
すべてが貴重な体験となりました。